X facebook line

vol.2【三井不動産×食の改革者たち】日本橋の街づくりを考える三井不動産が、今なぜ〝食〟をテーマとした街づくりに挑むのか?

日本橋街づくり推進部・部長の七尾克久さん(右)と同部事業グループの柿野陽さん(左)。

コンセプトの設計から都市実装まで、ワンストップで食の事業開発をサポートするプラットフォーム「&mog by Mitsui Fudosan」。今春、日本橋を拠点にスタートしたこのプロジェクトのキーワードは〝街で育む、未来の食〟。三井不動産が食に関わるパートナー企業と共に、新たなイノベーションを生み出すためのさまざまな活動を行なっています。
「&mog王国」では毎月開催されるプロジェクトのイベントや最新ニュースをご紹介。日本橋から始まる新しい食の潮流をレポートします!

オープンマインドで進取の気性に富む街・日本橋

日本橋再生を手掛けてきた三井不動産が、食をテーマとして新たな街づくりのステージに挑んでいる。食の産業支援を通し街の活性化を目指す試みだ。その着想が2024年、いよいよ始動した。

プロジェクトの陣頭指揮をとるのは日本橋街づくり推進部部長七尾克久さん。日本橋に勤務して33年。様々な地元のコミュニティとも繋がりが深く、街の気質を理解し、それを街づくりのヒントにしてきた。
「日本橋は商人の街です。徳川家康が幕府を開いたときに、何もなかったこの土地に全国から商人が集まって街ができた。それが始まりです。大きな川が水運の要であり、五街道の起点ともなりました」と七尾さん。

以降、日本橋は文化・経済・商業の発信地として日本の中心となっていく。集められた商人たちは互いの知恵や技術を学び取り入れながら、発展していった。
「日本橋のルーツにはそうした進取の気性があります。また、江戸時代から現代までオープンマインドをもって、イノベーションを繰り返してきた企業が数多くあります。この2つの精神が日本橋という街を作っています」と続けた。

話は戻るが、そもそもなぜプロジェクトの拠点が日本橋なのだろうか。
「日本橋は三井グループの創業の地でもあります。三井グループの源流『三井越後屋呉服店』が創業したのが1673年。昨年350周年を迎えました。江戸時代から金融、商業の中心地として栄えてきた日本橋ですが、バブル崩壊後は急速に活気を失ってしまった。そこで官・民・地域が一体となり、かつての賑わいを取り戻すために『日本橋再生計画』が始まりました」

貞観年間(859〜876)より現在の日本橋室町に鎮座する福徳神社。五穀の神・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀る。

その第1ステージが2004年のコレド日本橋オープン。第2ステージでは2014年のコレド室町1・2の開業を幕開けに『界隈創生』『産業創造』『地域共生』『水都再生』という4つのキーワードを掲げ、日本橋の魅力を高めてきた。

「日本橋に再び賑わいを取り戻そうという想いの下、本格的に検討がスタートしたのが1999年でした。街づくりは我々だけでできるわけではありません。日本橋の老舗、地元企業も巻き込んで、企業や行政が一丸となったのです。『日本橋再生計画』の原点にはまず、こうした多くの方々に教えていただきながらの“街づくり”がありました」と七尾さん。中央通りに花を植えたり、観光案内所作ったり、日本橋の船着き場を整備したり、無料巡回バスを走らせたり—-と試行錯誤を繰り返し、できること、思いつくことはなんでもトライしたという。

「古くは霞が関、新しいところでは汐留などの再開発を手掛けてきましたが、再開発には街全体に需要を呼び込めるダイナミックなテーマが必要になります。それも将来にわたって続くものでないと意味がありません。そこで日本だけでなく、世界の課題解決に繋がるような産業の発展を支援しよう、という思いが生まれました。日本橋はもとより歴史と精神性のあるエリアですから、“古いものを蘇らせながら創っていくこと”を念頭に、開発を進めました」

日本橋再生計画が始動して以降、街の賑わいは徐々に戻ってきたという。そうしたなかで三井不動産が次に取り組んだことのひとつに、ライフサイエンスの産業創造がある。江戸時代に薬種問屋街として栄えた日本橋には、現在も医薬関連企業が集積している。その地の利を生かし、産学官連携によるライフサイエンス領域での新産業創造を支援する活動を開始したのだ。
「ライフサイエンス産業の方が集える“場”と、交流を促す“機会”を提供することで、オープン・イノベーションの促進に繋げたいと考えました」と七尾さんは当時を振り返る。それが順調に進んだことで、次のステップでは宇宙ビジネスの産業創造推進、という命題に取り組んだ。

八重洲ミッドタウンで開催された『&mog by Mitusiudosan』の第一回ミートアップでは、海外展開を目指すスタートアップ企業やそれをサポートしたい企業が一堂に会し、意見交換を実施。

世界的な社会課題を抱える〝食〟分野での産業創造を支援

こうした第2ステージの完成を経て、2019年からそれを引き継ぐ『日本橋再生計画』の第3ステージが始まった。そこに〝食〟をテーマにした街づくりという着想が生まれた。

「〝食〟というテーマが具現化したのはここ1年くらいです」と話すのは、日本橋街づくり推進部の柿野陽さん。前職は放送局という異色の経歴、持ち前のフットワークの軽さでプロジェクトを仕切る実働隊長だ。
「これまでライフサイエンスや宇宙の領域では、“場の提供”、“機会の創出”という枠組みで、その産業の方が集まる場所を作る、集まっていただいた方同士が交流する機会を創出することに取り組んできました。食でもその取り組みは実施しますが、加えて“事業開発の支援“にも注力していきたいと考えています」と柿野さん。

「第2ステージから始まった『産業創造』を進めるうちに、将来の社会課題の解決に貢献する必要性が見えてきました。そこでフードロスであったり、たんぱく質危機であったり、多くの社会課題を持つ〝食〟に着目しました。新たなイノベーションを起こし、危機を回避できる分野への支援が重要だと考えています」

その考えを体現したのが『&mog by Mitusiudosan』だ。今年3月の第1回ミートアップでは、食のスタートアップ企業と大手企業を結び、グローバルへの道を開く討論会が行われた。三井不動産は食の事業開発をするわけではない。製品の開発・事業設計・販路獲得といった様々な領域で、強みを持ったパートナー同士を結び付け、支援に回るのだ。それを「伴走する」と柿野さんは言い表した。

「日本橋全体をプラットフォームに見立て、今あるコネクションやリソースを使ってどう貢献できるかを模索中です。不動産業ですから場の提供であったり、幅広い顧客層であったり、ニーズを聞いて結びつけることが可能な立場です。この活動を通じて、我々がどう産業支援に関わるのかを見極めたい」と柿野さん。
「これは10年前にはできなかった。今だから可能になった試みです」と七尾さんは振り返る。20年以上にわたり再生プロジェクトを進めるなかで、地元企業の声を丁寧に聴き、関係を深めてきた。ネットワークも整い多くの信頼を得たことから「機が熟した」という。

そこに至る過程で、七尾さんは日本橋の街の景観維持にも尽くしてきた。街区の景観ガイドライン作りに協力し、路地の美観を整備して行燈(あんどん)を置く活動を行うなど、街へ愛情を注ぎ続けてきたという。
「日本橋には魚河岸時代の名残の路地が10本程度あります。そこに行って、あなたの土地に石畳を敷かせてくださいとお願いして歩きました」と笑う。こうした活動を通じて、個性豊かな特長のある店主とも顔馴染みになれたという。「そういった積み重ねが、現在の取り組みの原動力にもなっています。」と言い切る。

「街づくりは単に建物を作るのではなく、人々の生活を創っていると思っています」と柿野さん。

食の産業創造に力を貸すことで、イノベーションを生む。そのための一手に、不動産という立場から切り込んでいく。
かつてないその試みが、今後はどのような変化を生んでいくのかが楽しみだ。

text:Jun Okamoto
photo:Yoshiko Yoda

pagetop